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「ラ・クンパルシータ」という名前で教室を始めて 8年以上にもなりました。
教室を始めたばかりの頃は 一体どーやって生徒さんを集めたらいいものか・・・・
毎日毎日思い悩んで ずいぶん苦しいときもありました。
グループレッスンとは名ばかりで、生徒さんが一人しか来ない というようなこともありました。
今では少し信じられないですね。
ずいぶんたくさんの方が来て下さるようになり、皆さんの応援あってここまでやってこれたことを
本当に心から感謝しています。
アルゼンチンタンゴで「入門コース」というセットにしたクラスレッスンを始めたのは
ラ・クンパルシータが日本ではじめてです。
入門コースというものをするようになったお陰で
私達はだいぶ変わりました。
当初とにかく人を集めたくて始めた入門コースではありましたが
ゼロから自分達によって教えてゆき、育ててゆくこと、成長をみること、
絆が生まれることの喜びを知ってしまったのです。
ゼロから教えることで、どれほど愛情を注げるか、
その愛情に応えてもらえたときの たとえようのない喜び、
絆で繋がった生徒さんが増えてゆくたび、教室の空気はどんどんどんどん
良くなってゆきました。
しかし、その代償として 別れの辛さも知りました。
長くお付き合いを続けた方の中には、ご病気で来られなくなる方や、
亡くなられる方もいらっしゃいます。
趣味で通うお教室でしたら、通常 風邪を引いたらお休みしようかな と考えます。
元気なときに「タンゴを踊りにいこう」と考えるものです。
でも そうでない場合もあるものです。
以前、ここクンパルへ来ることが大好きな方がいました。
毎週、毎週 欠かさず来てくださいました。
ある時、パッタリ姿を見せなくなってしまいましたが、私達にはどうすることも
出来ませんでした。
私達はただのお稽古事の先生ですから・・・・
他のスタジオで良いところが見つかったのかもしれない
他にもっと合う先生と出会ったのかな・・・
私達はついそう考えてしまうものですから、そのまま その方との連絡は途絶えました。
それが、数ヶ月経って その方が突然 来て下さったのです。
一瞬どなたかわからないほど、痩せられて 姿が変わってしまってました。
そこで 癌を患われ、入院されていたことを初めて知りました。
抗癌剤の副作用により抜け落ちてしまった髪を隠すため、ウィッグをつけて
「もう一度、どうしてもここへ来たかった、
どうしても 先生たちに会いたかった、
どうしても もう一度踊りたかった!」 そう言って下さったのです。
その日、心を込めて一緒に踊らせて頂き、
とても楽しそうに、嬉しそうに、満足されてお帰りになられましたが、
その翌月、その方が亡くなられたことを 人づてに知りました。。
最後に私達に会いに来て下さったとき、病院の先生にはずいぶん無理を言って
ようやく外出許可をもらったそうです。
どうしてももう一度踊りたかった
あの時の言葉が今でも忘れられません。
ずっと以前、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにあるミロンガで
隣に座っていた おバアちゃんが言いました。
「あんたはタンゴのある人生を選んだんだね」 と。
それはどーいう意味なのか と尋ねましたら
「人生には必ずどーにもならない辛い時がやってくる。誰にもね。
例えば 最愛の人との別れかもしれない。 病かもしれない。
あんたがどんなにタンゴを好きで、夢中になって練習してたって
とてもタンゴを踊る気持ちになんてなれない って日は
必ずやってくるんだよ。
でもね、それを乗り越えたとき、タンゴが待っててくれるよ。
ああ、タンゴがあって良かった、って。
きっとタンゴに助けられる時がやってくるんだよ」 と。
ラ・クンパルシータに来て「タンゴのある人生」を選んでくれた生徒さん達が
何かを乗り越えたとき
私達はいつも変わらずここで迎えられるようでありたいです。
あらためて、クンパルへ来てくれてどうもありがとう。
タンゴを通じて少しずつ絆が生まれてくることや、信頼関係ができてゆくこと、
そうして一人ひとりのタンゴが出来てゆくことが嬉しくてなりません。
みんながタンゴをだんだん好きになってくれて、クンパルを好いてくれるからこそ、
みんなのお陰で今の私達があることに、感謝の気持ちで一杯です。
みんなは「タンゴに出会えたのはこのサイトがあったお陰です、先生ありがとう」と言ってくれる。
いいえ、こちらこそ ありがとう。
私達はそうして お互いが感謝の気持ちで結ばれていることを感じます。
ステップを教えることだけが私達の仕事ではない、ということを みんなから教わりました。
私たちは「思いやり深く、あたたかい、小さな感動のあるスタジオ」をつくりたいと思っています。
それをつくってくれているのは みんなです。
どうもありがとう。
これからも どうぞよろしく。。