アルゼンチンタンゴ 教室 タンゴレッスン 東京 港区
ラ・クンパルシータ
​東京都港区東麻布2-13-1 べルメゾン東麻布B1
TEL : 03-6661-8218 / E-mail : tango@lacumparsita.jp

​What's TANGO?

■アルゼンチンタンゴの歴史

今からおよそ150年前、19世紀南米アルゼンチン・ブエノスアイレスで生まれたアルゼンチンタンゴ。
その発祥はラプラタ河という海みたいに大きな川の河口、ボカ地区で貿易が盛んに行われるようになった
ことによって生まれました。 

輸入とともに入ってきた外国の様々なリズム。キューバのハバネラというリズム、
アフリカ、スペインなど、たくさんのリズムが混じり合ってできたようです。


アルゼンチンってヨーロッパからの移民の国だし、あの「母を訪ねて三千里」で でてきたマルコのお母さんも
当時、経済が豊かだったアルゼンチンへ出稼ぎに来てたんじゃなかった?

そんな祖国への哀愁なんかが、このアルゼンチンタンゴ独特のセンチメンタリズムを生んだんでしょうね。

貿易で栄え、南米のパリと呼ばれたほどの美しい街並みをしたブエノスアイレスですが、一方、貧富の差は激しく、
船乗りや、貧しい労働者、娼婦のたむろする裏通りがそのボカ地区でした。
そうした混沌とした中で貧しい人々のストレス解消?としてタンゴは生まれたようです。 


最初はギターのみで、男性同士が踊って生まれた と言われていますが、いずれ娼婦を相手に踊るようになり、
男女が組んで踊る形成となりました。でも 世評では汚い・いかがわしい踊りともされていたようです。


こうして貧民街で踊られていたタンゴも、やがてダンスホールなどで多くの人々に踊られるようになり、
ヨーロッパへと伝わっていきました。 この頃、今では欠かすことの出来ないバンドネオンが加わったのです。

バンドネオンと言えばアルゼンチンタンゴ! だからアルゼンチンの楽器かと思いきや、ドイツの楽器なんですよ~!

バンドネオンとはアコーディオンに似た形をしてるけど、鍵盤はなく両サイドにたくさんのボタンがついてる
蛇腹楽器です。 音階がすっごい難しいらしいよ・・・




← こーゆーの。
バンドネオンとアルゼンチンタンゴって本当にもう運命的な出会いですよね!



■アルゼンチンタンゴとコンチネンタルタンゴ

ヨーロッパにタンゴが伝わったと言っても、貧乏人の暗~い音楽はセレブ・ブルジョワ階級の人には
合わなかったんだろーか? ジャンジャン楽器増やして、ビックバンドでの演奏にして、すっかり様変わりした、と言ってもいいでしょう。

よく本とかに「アルゼンチンタンゴが洗練されてコンチネンタルタンゴとなった」みたいに書いてるのが多いんだけど・・・ちょっと アルゼンチンタンゴに失礼じゃない??とツッコミいれたりして(笑)

それでも、いまだに 決定的に何が違うの?と聞かれるとどーも答えらんない。単に楽器の数じゃないし・・・
バンドネオンある or なし だけでいいのか?
ただ、ダンスに関しては男女が抱き合って踊るスタイルをパリっ子たちは大変気に入ったようで、あまりの人気にローマ法王からタンゴ禁止令まで出されましたが、アルゼンチンタンゴの形を変化させ、受け入れてもらおうとする過程を得て、今も守られてきたようです。

日本でも1930年代にタンゴブームとなりました。 が、その頃ダンスとして踊られていたのはほとんどコンチネンタルタンゴだったようです。1940年には日本の楽団も結成されましたが、戦争によってダンスホール などは一時閉鎖され、また第二次世界大戦後にタンゴブーム復活、となりました。

その頃「早川真平とオルケスタティピカ」が藤沢蘭子とともに南米演奏旅行などに行き、現地でも大評判となりました。 タンゴの歴史といえば彼らの写真などは必ず載ってますよ~。
今、少しご年輩の方々からお話を聞くと「うちでも親父が好きでよくタンゴを聞いていたよ~」なんてお話を伺います。

■アルゼンチンタンゴ黄金時代

アルゼンチンでは1940年頃、ペロン大統領の労働者保護政策によって、更にタンゴは大衆化してゆき頻繁に踊られるようになりました。この頃がアルゼンチンタンゴ黄金時代と言われており、多くの楽団、ダンサーも続々登場した頃です。
外国ではヨーロッパスタイルのタンゴだけが踊られていましたが、アルゼンチン以外の他国でもアルゼンチンタンゴが広く踊られるきっかけとなったのが、1983年 ショー「タンゴ アルヘンティーノ」パリ公演。
大喝采を受けたタンゴ アルヘンティーノはブロードウェイに進出し、通算198回に及ぶ公演をしたということです。

■日本のアルゼンチンタンゴ・ダンス

コンチネンタル、つまり社交ダンスのタンゴではなく、アルゼンチンタンゴが日本でも踊られるようになったのはここまだ数十年ほどでしかありません。  

1987年、先に出たタンゴ アルヘンティーノ日本公演はその情熱的な男女のドラマ・官能的なステップ・哀愁ある音楽で、やはり日本の人々をも虜にし、大成功を収めました。
残念ながら私はビデオでしか見たことがありませんが、やはり斬新で、ただただ かっこいい!

その頃、アルゼンチンへ日本人が初めてタンゴ留学し、帰国後アルゼンチンタンゴダンスの普及に努めたのが故 小林太平先生です。 私は小林先生が1989年に立ち上げた「アルゼンチンタンゴ舞踊団」に1995年から入団しましたが、その頃はハッキリ言って、本当に愛好家が少なく、狭~い世界でした(笑)

ここ数年、2000年を過ぎてから杉本彩さん、藤原紀香さんらが踊られたこと、タンゴレッスンなど映画の上映などが大きく影響し、現在は正に日本のタンゴ黄金時代を迎えているのではないでしょうか?

本当に急激にタンゴ教室は年々増え、その愛好家も増え続けていると感じます。

アルゼンチンタンゴは本来、個人が楽しむサロンダンスであり、そのスタイルも個性様々なものですが、近年ではアルゼンチンでも日本でも、社交ダンスのように、コンテストや、コンクールといった形で競技化してきています。

その是非は賛否両論でしょうが、アルゼンチンタンゴという素晴らしいダンスが、より芸術化され、一民族舞踊から世界の芸術へと発展してゆくのであれば、それもまたひとつの歴史の過程なのだろう、と思います。 

今後も更に発展を遂げ、タンゴを愛する人が増えることを、心から願い、
私達もその普及の一端でありたいと思います。


文)五十嵐純子